よく子供が「みんな言ってる」「みんな持ってる」というと、すかさず大人は「みんなって誰やねん?」とツッコミを入れます。

しかし、そういう大人だって似たようなことを気にして行動していますよね。

「全米が泣いた」映画はとりあえず見てみる。

本屋で「ベストセラー!」のPOPがあるとついつい手にとってしまう。

「○○%の人が効果を実感!」と謳われたサプリメントが気になりだす。

「みんな」とか「○○%」といってもそれが身の回り3人の意見だとしたら、信憑性はありませんよね…

今回は「日本人は“みんなと同じ”を好む国民性がある」ということを言いたいのではなく、

「身の回りにあふれている情報に振り回されない、間違った方向に導かれないためには『統計学』は大切です」というお話をしたいと思います。

最初に言っておきますが、私は「統計学」を専門的に勉強したことのないド文系人間です。

だから「統計学とはっ」とこむずかしい話を鼻息荒く語るつもりはありません。普段生徒たちを教えていて感じる、生活レベルの損得勘定ベースでの実感をお話しします。

小学1年生から「統計学」を学ぶ

今年小学校の教科書が改訂され、英語が3年生から始まる、プログラミング教育が始まるということはけっこう注目を集めましたが、「統計」の勉強も地味~に1年生から始まることになっているのです。

小・中と「データの活用」として学習していくわけですが、小学校1年生は個数を絵や図に表したり読み取ったりから始まります。

グラフを読めない子供たち

「データの活用」は算数のみならず、理科や社会の勉強でも必要になってきます。

中学生の理科や社会の授業を見ていると、このデータの活用、つまりグラフや表の読み取りが恐ろしく弱いのがずっと気になっていました。

私たちにしてみればグラフを読み取れば答えが出る問題なのに、

「グラフの縦横の数字が何を意味しているのかわからない」

「そもそもグラフをどう見たらいいのかわからない」

「読む」だけでなく「使う」

そもそも「統計」ではグラフや数字を読むことは、最初の一歩であり、そこから現象全体をつかみ取ったり、先を予想したり、誰かを説得したり、まさに「データを活用」することが目的です。

「読まない」「読めない」は論外!

生活の中の「統計」

こう書くと「統計」は専門的な仕事でしか必要ないと思われるかもしれませんが、案外生活の中にも転がっています。

身近なものといえば「天気予報」です。学生のころの模擬試験の「合格判定」もそうです。

そして、最初に出てきた「みんな」「○○%」の信憑性を明らかにするのも統計です。

みんなは何人? 満足度90%だから安心?

新しいゲームを「みんなが持っているから買って!」と言われても、「みんな」が子供の仲のいい友達数人だったら「我慢しなさい」なのでしょうが、クラス全員、学校全体となるとさすがに「かわいそうかな…」と思うでしょう。

「90%の人が満足している」という謳い文句の「美白ジェル」があったとして、そのデータは何について、どういう対象に取ったのか?

普通私たちは「効果」だと思いますが、もしかしたら「値段」についてのデータかもしれない。もしかしたら新陳代謝のいい若年層だけのデータかもしれない。

「統計」から見えるものはひとつではない

数字そのものは変わらなくても、サンプル数(測定した数)や切り口(年齢、性別、時期など)、または切り取り方(全体の中のどの部分を見せて、どの部分を見せないか)によって意味合いが全く違ってくるものです。

「統計」は数学だから、答えはひとつだと思われがちですが、ちがいます。

だから「統計」を使ってだますことも出来、だまされることもある。

「統計」は生きるうえで必要な学問です

統計は便利でもあるけれど、危ないところもあるのです。だから、「統計」の仕組みを学ぶべきなんです。

小学校1年生から「統計学」を触らせるのは私たちとしては大歓迎!

積極的に活用して自分の生活を豊かにすると同時に、生活を守るためにもとても大切です。