私が子供のころ、背伸びして大人の会話に加わろうとすると

「大人の話に首をつっむな!」

としかられたものです。

自分自身が大人になって、学習塾で子供を相手にするようになり、ここ何年か感じる変化があります。

それは、大人の会話に首を突っ込む生徒が減ったことです。

かつての大人と子供が交じり合って話す空間

以前は、授業が終わって休み時間になると、講師と打ち合わせをしているところに絡んでくる生徒も多く

「うるさ~~いっ」と怒鳴ることもしばしばあったのですが、それがあまりなくなったのです。

まあ、こちらが話し中だろうがなんだろうが空気を読まずに、自分の用件を割り込ませるヤツは相変わらずですが…

今どきの休み時間

原因は単純、「スマホ」です。

以前は休み時間にやることといったら、圧倒的に友達同士や講師たちと喋ることでした。

でも、現在の休み時間は全員とは言わないですが、けっこうな割合で一人黙々とスマホを見入っている子が目立ちます。

友だち同士で会話をしていたとしても必ずそこにはスマホがあり、ゲーム、SNS、音楽を中心にしての会話になっている様子。

スマホ反対論者ではありません!

別にスマホが悪いということを言いたいのではありません。手にとってしまった便利な道具は今や私たちの生活に深く深く根を張り巡らせてしまっています。もはやスマホのない生活には戻れません。

携帯電話時代は「子供が持つ必要ってあるの?」と正直感じていましたが、今回のコロナ騒動では、スマホは生徒たちとつながる貴重な命綱ともなりました。

スマホがあるからいいか…

なんとなく気になっているのは「大人と子供の会話の分断」です。

教室に話を戻しますと、テスト前や入試前は生徒たちは長時間教室にいることになります。

かつては休み時間に話をする友だちもいなく、所在無げにしている生徒がいると、こちらから声をかけたり、何をしているのか時々見に行ったりと、やはり気にはなっていました。

しかし今は、休み時間も一人静にスマホをいじっているので、そのままそっとしておくことになります。

裏を返せば、スマホがあるから気にしなくてもいいか…という大人側の怠慢のような気もしなくはありません。

大人の世界に興味のない子供たち

大人と子供と会話には、常に大人側に努力というか意思が必要だと思います。

子供にしてみれば、大人との会話はうざったくもあるのですが、少なくとも子供よりも広い世界を知っている大人の言葉に触れる機会ではあります。

知らない世界に触れることは、刺激的で興味がわきます。

小さい子どもから小学生あたりまではまだ大人のことばに敏感で、会話にも入ってこようとしますが、中学生になってスマホをいじり出すと、もう大人は眼中にありませんよね。

だってスマホの中の世界の方が楽しいから。

しかし発端はやはり大人の方で、以前通勤電車の中で、着席するなりお母さんはスマホを黙々といじりはじめ、小学低学年と思しき子供は同じく黙って車窓から景色を眺める…という光景に出くわしました。

まあ、私が見ていたのは通勤途中のほんの2~30分だけですから、家では会話が弾んでいるのかもしれませんが?

出典:ICT教育ニュース
スマホは世界を広げもするけれど…

スマホをいじっている時間、子供は夢中になるので手がかからなくなりますが、大人との会話の機会が減ってしまい、大人の世界や大人との関わり合いへの興味が薄くなっているように思うのです。子供だけの世界で完結してしまっている。

もはや「子供の世界」というより「個の世界」なのかもしれませんが、とにかく成長期に自分(たち)以外の世界に興味がなくなるということは、知識や可能性の広がりがなくなることにもなります。

読解力と会話

子供の読解力の弱さがよく言われ、読解力を付けるのには読書が必要。それはそうなのですが、それよりもハードルが低いのは大人との会話なんじゃないかと私は思っています。

とかく大人が子供と会話をするときは小言になりがちですが、それ以外の与太話もしつつ、子供との言葉のキャッチボールを楽しむことも必要なのではないでしょうか。