いよいよ塾は夏期講習2週目に突入し、子どもたちも学校授業のない生活に突入いたしました。
そこで、今回は「正しい夏休みの過ごし方」について、お話ししたいと思っていたのですが、そろそろ親御さんたちもアレが溜まってきた時期かもしれませんので、、、、、
そうです。アレです。イライラしてませんか?
決して焚きつけるつもりはないのですが、夏と言えば生活の乱れ。
夜更かし、朝起きるのが遅い、昼まで寝てる…
何をレベルの低いことを…とお思いの方は、大丈夫です。ここでスキップしていただいて構いません。
以前、You-学舎ブログで何年か前に「子ども叱るな、来た道だ」と書いている記事を見てハッとしたことを思い出しました。
今回は堅苦しいことは抜きにして、
楽な気持ちで読んでいただければと思います。
「子供は黙っていろ」
家族の中でも、親戚の中でも一番幼かった私は、
年の離れたおじさんにこう言われ、
子どもの分際でと言われているような気がして、私はひどく口惜しく思ったものでした。
しかしながら、このように言われたことが大人と子どもの間にある隔たりのようなものを知らず知らずのうちに理解していたように感じています。
これは個人的な主観かもしれませんが、今の子どもたちはいい意味でも悪い意味でも「大人扱い」されていることが多いように感じます。
少子化もあり、大人と過ごす時間が長くなり、子どもたちだけで過ごす時間が少なくなっているように思います。
物質面でいえば、小中学生はスマホを持っていることも珍しくなく、家には子ども専用のパソコンを持っているご家庭もあるかもしれません。(いい世の中になりましたね。)
これらのものは、私の時代でいえば、「大人が持つもの」(ある程度大きくなってから持つもの)として存在していたように感じます。
そこで私たちは、「待つことの大切さ」を、幼いながらに習ったように記憶しています。
そういった意味で、「子供時代」を子どもらしく過ごすことの大切さに気付かずにはいられません。
勉強も同じことだと言えます。
「しない」という選択
「今、何がしたいか」と同時に、
「今、何をしなければいけないか」について、
同時に考えられる人になることが大切だ。
という言葉に出会い、なるほどと思いました。
ここには、
「したくても “しない”」
という意志の力を養うことの大切さがこめられています。
これこそが、「習慣」で「自制すること」をコントロールする意味だと思います。
あともう少し眠っていたいけど、起きる。
あともう5分、テレビを見たいけど、消す。
こんな簡単なことなのに、難しいのはなぜでしょうか…
(私も毎朝ツラいです・・・トホホ)
主体性という名の「したい性」
私たちは塾の先生という仕事柄、高校などの説明会に行くことも多く、そこで様々な先生方のお話を聞くことも多いです。
子どもたちの「主体性」を重んじる教育ということが、よく言われます。
しかしながら、現実として私たちが見ているのは
「したい性」が野放しになっている状況なのかもしれません。
彼らが本当に自由になるためには、
したいことをきちんと我慢し、
自分自身に
「待った」
をかけて、しなければいけないことを先送りしないような自分を自ら育てていくことが大切なのではないかと思います。
例としては、あまりふさわしい例ではないかもしれませんが、
銀行強盗をする人にとってはお金を手に入れることが「善」と考えられています。
それゆえ、私たち大人が子どもたちに与えないといけないのは、一次的な衝動性の高い「善」ではなく、
本当の価値ある「善」
を見分けられるようにする機会を与えることだと思います。
自分の欲望を抑えてでも、
将来の自分たちのために価値ある「善」を学習を通じて教えていくことにあると考えます。
学習することは、決して楽しいばかりではないですし、暗記も演習も繰り返し、“しこたま”させます。
人というものは追い詰められてしまうと、目先の「善」に走りがちです。
だからこそ、常日頃から、優先順位をつけながら物事を進めていく意志の訓練をすることが大切だと思います。
まとめ
「自戒の念」も込めて、、、、今回はこのお話をいたしました。(大汗)
子どもたちを「叱る」のであれば、まずはその背中を見せるという姿勢が大切なのではないかという、私の背中も火傷でヒリヒリしそうな話題をお話いたしました。
しかしながら、私たち大人は自分たちのことは棚に上げて、ドンドン子どもたちにはそれに気づかせるために「叱る」ことが大切だと思います。
そのためには、具体的に、なぜそれではいけないのかを、出来るだけシンプルに、感情に流されないように「叱る」ことが大事ですね。
もしお困りでしたら、いつでもカウンセリングしています。ご相談くださいね。
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「待つことの大切さ」について学びました。
こども時代を、じっくりと過ごすという大切さに気付かされました。勉強も、同じことが言えますね。
したくても「しない」という決断をするのは勇気のいることです。
しかしながら、「するべきこと」をした後には、「したかったこと」を
してもよい。一見簡単なルールですが、非常に難しいことでもあります。
我慢することは容易ではありませんね。
主体性を重んじる。一見、耳障りのよい言葉。
しかし、単にしたいようにさせて、「したい性」を野放しにしているだけなのではないでしょうか。目先の「善」に惑わされず、本当に価値ある「善」に目を向けたいものですね。
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