大人の安堵、子供の憂鬱

今週から学校は分散登校で再開、15日からは部活も含めて通常に戻していくとのこと。

3月から止まっていた子供たちの生活がやっと動き始めます。

大人たちはもちろん「学校再開大歓迎!」なのですが、

子供たちはどうなのでしょう?

確かに家の中に押し込められてクサクサしていたと思いますが、案外この3か月の自宅生活は取り立てて困ったことはなく、むしろ快適だったのではないでしょうか。

あくまでも3か月も学校に行けなかった経験のない私の勝手な想像なのですが…

 

当たり前が当たり前でなくなったこの3か月

学校が始まるということは「~しなければならない」というたくさんの制約がかかる生活に戻るということです。

「勉強しなければならない」はもちろんですが、「朝起きなければならない」「学校まで行かなければならない」「授業中はじっと座っていなければならない」

もしかしたら「苦手な人と円満に付き合わなければならない」なんてこともあるかもしれない。

 

コロナ以前もその制約に疑問を持っていた人もいたでしょうが、大多数の子供は(大人も)、小学校入学から「面倒だけど仕方がない」となんとかやり過ごしてきたのではないかと思うのです。

この3か月間当たり前だと思っていた制約から解き放たれたら、そりゃあ楽ですよね。

そして一旦消えた制約がまた戻ってくるとなると、人によっては以前よりきつく感じることもあるかもしれません。

 

人生「加圧トレーニング」だ!

「制約」=「締め付け」で悪いもののように思われそうですが、そうとばかりは言えないと私は思っています。

人の成長には何らかの「負荷」、「プレッシャー」が必要です。

一番ピンときやすいのは「筋トレ」ですよね。ちょっとキツめの負荷を筋肉に与えることで筋肉がつきます。

「学力」にしても簡単な問題ばかり解いていても、そこで伸びなくなってしまいます。

外から加わる力を押し返すことによって人は「進歩」出来るのではないでしょうか。

もちろん、過度な締め付けはダメです。

 

子供の「しんどさ」をわかったうえで…

しばらく子供たちは「朝起きなければならない」「学校に行かなければならない」制約に違和感を覚えたり、ついていけなくなったりするかもしれませんが、それは自然なことでしょう。

大人だって連休明けは心も体も重苦しいものです(私だけ⁈)

それでも生活がかかっているから「仕方なし」に動いていくのです。

子供にだって「将来の生活」がかかっているのですが、それを言ったところで通じません。

 

そんな子供たちには、制約を「面倒くさい、いやなもの」だと思うこと自体を否定しない方がいいでしょう。今までちゃんと守ってきた子ほど、そう思う自分を責めてしまうかもしれません。

大人にとっては当たり前の理屈、規律であっても子供からしたら理不尽なことでしかありません。

 

その理不尽なことを、理不尽なもののままでも受け止めさせていくのが大人の務めなのではないでしょうか。

 

私の場合、無責任かつ軽~く

「まっ、災難やと思って諦めて受け入れろ」

と言うことにしています。

たいがいの子供は脱力してあきらめの笑いを浮かべるのですが、

もしかして「こいつに相談したのが間違いだった」って思ってる⁈